乙事主「わしの一族を見ろ。みんな小さくバカになりつつある」
ジブリ映画「もののけ姫」のキャラクターの一人、猪(イノシシ)神達の王である乙事主のセリフに「わしの一族を見ろ。みんな小さくバカになりつつある」というのがある。
でも今回はイノシシたちの話ではなくて人間の話がしたい。
人間は小さくはなっていないけど、バカになりつつはある。私もバカになりつつある。
ただし正確には人間がバカになりつつあるというよりは、環境が人間をバカに造っている。
時代が進むほど、手に入るエンタメが簡単で便利なもの、インスタントなものになっている。
分かりやすいのがTikTokで、超短い動画がいくらでも見られる。ただしTikTokだけが悪いわけではなくて、YouTubeは早回ししながら見れるし、X(旧Twitter)も短文の塊である。
言い換えるなら、人間は「重いもの」「遅いもの」「重厚なもの」「考えながら情報を処理する必要がある物」というのが苦手になりつつある。深く考えるということが苦手になりつつある。そもそも人間の脳はできるだけエネルギーを使わないことを好むと考えれば、人間がインスタントなものを好むのは当たり前だし、資本主義的にもニーズがあるならばインスタントなエンターテイメントが供給されるのは当たり前なのだけど。
だから時代が進むにつれて、ますますインスタントなエンタメが流行り、ますます人間は深く考えることが無くなり、人間はバカになっていくことでしょう。
じゃあ今の大人たちは昔の大人に比べるとどうなのか?今の大人を代表して私が自白するけれど今の大人も昔の大人に比べて十分バカである。
分かりやすいのが幕末時代に活躍した人たちとの比較である。幕末当時、徳川慶喜29歳、坂本龍馬30歳前後、吉田松陰29歳、高杉晋作27歳……すごーい。それくらいの年齢で日本の運命を動かしたんだ……。
なぜ今の大人が当時の20代後半に色々負けているかというと、今の大人たちも「テレビ」とか「テレビゲーム」とかみたいなそこそこのエンタメがあったからだ。
それに対して幕末当時の大きなエンタメは「本」だと思う。「テレビ」と「本」の大きな違いは「テレビ」は知識を与えてくれる上に自分の代わりに(レポーターとかが)考えてくれるのに対して、「本」は知識は与えてくれるけど自分の代わりに考えてはくれない点だ。「本」は「自分で考える余地」を与えてくれる。そもそも幕末時代はエンタメの種類が少なくて暇な時間が有り余っていて、考える時間もたくさんあっただろうし。結果、多分幕末の偉人たちは現代の大人とは比べ物にならないくらいメチャクチャ深く考えていたと思う。
つまり、ここ最近「人間をバカに造る環境」が始まったのではなくて、昔から「人間をバカに造る環境」は少しずつ始まっていて、ここ最近加速しつつあるだけだ。
私も最近滅多に本を読まなくなってしまった。本を読まなくてもインスタントなエンタメがいくらでもあるから。私はもう駄目だ。
ここから起死回生のチャンスがあるとすれば、知識を人間の脳に直接ダウンロードする技術が発明されるか否かにかかっている。ちょっと怖いけど。
で、私が言いたいのは、乙事主が「わしの一族を見ろ。みんな小さくバカになりつつある」と言っていたことから察するに、当時の時点ですでに猪神達の間でTikTokが流行っていたに違いない。