現実主義者になることの大切さと人間には現実世界を見る能力がないという話
昔私は「道徳的であればあるほど人間は幸せな人生を送れる」と誤解していて、そこそこ頑張って「善人になる努力」をしていて生きるのが辛くて、その後「自分自身の人生を自分自身でコントロールする努力」をすることでようやく生きづらさから解放された。
ので、ここから得た学びは「人間は思い込みでこの世界を見るのではなくて、できるだけありのままのこの世界を見るように努力しないといけない。現実世界を現実世界のまま捉える努力をしないと、誤った努力や誤った考え方につながって、辛いのが永遠に続くことになる」ということだ。だから私は基本的に現実主義者になろうと努力してるし、何かの努力をしてるのに効果がない場合は、自分の思い込みで何か間違っている効果のない努力をしてしまっていることを疑うようにしている。
だからこの文章を読んでいるあなたがもし何かについて頑張っていたり努力したりしているのに全然効果が出ない場合は、何かの思い込みだけで全然効果のない努力をしてしまっているのではないか、ということを疑ってほしい。現実主義者になるのは本当に大事。
現実主義者になる努力とは、勉強や理論で学んだ世界ではなく、今、目の前にあるこの現実世界を現実世界のまま認識する、ありのまま捉える努力をするということだ。ありのまま現実世界を捉えて、その中で何かの努力をして、それに対してこの現実世界に効果があるかどうかを確認することで、初めて本当に効果がある努力が何かが分かる。
さて次に、人間はそもそも現実世界を現実世界のまま捉える能力がない、という話をしたい。
例えば、あなたが会社で先輩に「おはようございます」って挨拶をしたのに先輩に無視された、としよう。
この時あなたは
- たまたま聞こえなかったのかな?
- 先輩、私の挨拶が聞こえないほどの悩み事を抱えているのでは?
- 私は先輩に嫌われているのでは?
というようないずれかの解釈をすると思う。上記3つ以外の解釈をする人もいるかもしれない。
そして人間は「会社で先輩に「おはようございます」って挨拶をしたのに先輩に無視された」という現実世界の情報をこの情報のまま自分の頭に認識するのではなくて、上記3つ(またはそれ以外)のいずれかの【解釈】とセットで認識する。そして「どういう【解釈】とセットでこの情報を認識するか」は人によって異なると思う。
「たまたま聞こえなかっただけでしょ」って思う人もいれば「先輩、めっちゃ深刻な悩み事を抱えてるわ。これはお昼休みに話を聞き出さねば」って思う人もいるし、「挨拶して無視されたってことは私、嫌われてるんだ。これ以上嫌われないように先輩と距離を置こう」と思う人もいる。
その【解釈】は間違っているかもしれないし、そもそもこれら以外の【解釈】が正解なのかもしれないのに。
そして人間は【解釈】の積み重ねでこの世界を認識している。
だから「この世界はこういう世界だよねー」って認識してるこの現実世界は、人によって見え方が異なる。なぜなら人によって解釈が違うから。
例えば「私は先輩に嫌われているのでは?」って【解釈】をした人は「私って人に嫌われがちだよね」っていう世界が見えてるかもしれない。実はあなたが勝手にそう解釈しているだけで現実世界は全然そんなことはないかもしれないのに。
それに多分「私は先輩に嫌われているのでは?」っていう解釈をした人はそこそこ生きづらい世界を生きていると思う。
逆に言えば「生きていきやすい【解釈】」とか「幸せを感じやすい【解釈】」もあるし、「成功しやすい【解釈】」さえある気がする。
例えば嫌なことがあった日に「私にはいつも悪いことが起こる」と【解釈】する人と、「今日はたまたま運が悪い日だった」と【解釈】する人では生きやすさがだいぶ違うと思う。
「解釈」って言い換えるなら「この世界に対する思い込み」とニアリーイコールだと思う。
だから、現実世界をできるだけ現実世界のまま捉える努力、現実主義者になる努力はとても大切だし、もし現実世界を現実世界のまま捉えるのが難しいとしても、せめて「生きていきやすい【解釈(思い込み)】」とか「幸せを感じやすい【解釈(思い込み)】」とか「成功しやすい【解釈(思い込み)】」をするように努力するのが大事だな、と思ってる。