人生は能力ではなくて何を信じるかで決まる。気がする。
社長の能力を持っている人が社長になるように、政治家の能力を持っている人が政治家になるように、お笑い芸人の能力を持っている人がお笑い芸人になるように、人生は能力で決まるのではないか?と考える人もいると思う。
でも私は人生は能力ではなくて、この世界に対する世界観は何か、この世界に対してどのような考え方を持っているか、この世界に対して何を信じるか、で決まる気がする。
私自身は過去記事で何度か書いたけど(我が人生観、2017年7月1日時点の人生計画)人間はどういう生き方をしようが結局最後には死ぬ。あの世には生きていた頃の思い出しか持って行けない。つまり人生というのは楽しい思い出を作るためにあるものである。労働してる暇とかない。という考えを冗談ではなくて結構本気で信じていて、その結果、株式投資でリスクを取り、そこそこのお金を稼ぎ、会社をやめ、無職になり、起業し、会社を解散し、無職になり、最近は趣味で絵を描いている、という生き方をしている。
私は株の才能があったからこういう生き方を選んだのではなくて、先ほど説明した考え方をしているからこういう生き方になっているのだ。そもそもこういう考え方をしていないと株に手を出そうとか考えないし。
だって例えばあなたがソフトバンクの孫正義さんと同等の能力を持っていたとして、孫さんと同じ生き方をしようと思う?会社を複数運営するとかめちゃくちゃ面倒くさそうだし、そもそも経営者という職業もめちゃくちゃ疲れそうだし面倒くさそうじゃない?あなたが仮に孫さんと同じ能力を持っていたとしても、孫さんと同じような生き方はしないと思う。
逆に孫さんがなぜあのような生き方をしているかというと、その能力があったからあのような生き方をしているのではなくて、孫さんなりのこの世界に対する何らかの考え方や哲学があってあのような生き方になっているのだと思う。
例えばあなたも「私は無難な生き方をしよう」という考えを持っている。「私は普通の人なんだから普通の生き方をすべきだ」という宗教を信じている。
だから例えばあなたが自分にお笑い芸人になる才能があることが分かっても、多分あなたはお笑い芸人を目指さないと思う。なぜならあなたは「普通の生き方をすべきだ」という考えを持っているから。
ものすごい分かりやすい例を挙げれば「私は絶対に不幸な人生を送る」と心から信じてる人は、暗に自分自身に不幸になることを期待してしまって、無意識に自分が不幸になる可能性が高い選択肢ばかり選択し、実際に不幸になるのだと思う。
もし「私は絶対に不幸な人生を送る」と心から信じてる人に幸せな選択肢が与えられたとすると、むしろその人は居心地の悪さを感じて、自らその幸せな選択肢を拒否すると思う。
逆に「私は絶対に幸せな人生を送る」と心から信じてる人は、暗に自分自身が幸せになることを期待し、無意識に自分が幸せになる可能性が高い選択肢ばかり選択し、実際に幸せになるのだと思う。
もし「私は絶対に幸せな人生を送る」と心から信じてる人に不幸な選択肢が与えられたとすると、幸せになると信じてる人は激怒し、それを見て不幸な選択肢を提示した人はその不幸な選択肢を引っ込めると思う。
人生に影響を与えるのはその能力よりも「この世界に対する世界観」「何を信じるか」だとすると、宗教って多分私たちが意識しないだけで世界にすごい影響を与えてるんだろうなーと思う。
キリスト教にはキリスト教の世界観があって、イスラム教にはイスラム教の世界観があって、仏教には仏教の世界観があって、他にも大小様々な宗教があって、そして私たち無宗教の人には無宗教の世界観があって、私たちはお互いの世界観を完璧には理解することができなくて、それぞれの人間のこの世界に対する世界観や考え方がそれぞれの人間の生き方を決めて、さらに人類史を動かすと考えると世界はすごいな。