生きる意味とは
生きる意味は特に無い。だから、極端なことを言えば死んでもいいと思う。
死んだときに問題なのは「しまった。生きている時にやるべきこと、やり残したことがあった」ということがあっても、生き返れないことである。
だから、基本的には急いで死ぬ必要が無いのであれば、急いで死なない方がいいと思う。長生きした方が、生きているうちにやり残したことが無くなる可能性が高いし。急いで死ななくてもどうせいつか人間は寿命で死ぬし。
「どうせ最終的に死ぬのにどんな思いで生きて行けばいいのか」に関してだけど「せっかくの人生だし、自分なりに人生を楽しんでから死ぬか」くらいのスタンスで良いと思う。
つまり基本的に人生で大事なことは「自分なりに人生を楽しむこと」であって、「まっとうな人生を送ること」や「有名になること」や「お金持ちになること」はそれほど重要なことではない。
この文章を読んでいる人の中には生きるのが下手な人もいると思う。でも下手は下手なりに人生を楽しめばいいのだ。私もどちらかというと下手な方だし。
例えば「みんなパーティーを楽しんでるから私もパーティーを楽しまなければ」というのは少し違う。大事なことは「自分が楽しいと思うことや、生きたいと思う生き方をして人生を楽しむこと」であって「本当は自分は楽しいとは思わないけど世間的に楽しいこととされているから、自分も楽しまなければならない」というのは違う。楽しさを感じるのは義務ではなく権利なので、「これ別に私、楽しいと思わないや」っていうのは無理して楽しまなくてよい。
ちなみに人生に生きづらさや苦しさ、辛さを感じている人もいると思う。そういう人は自分の人生を楽しい人生になるように無理やり作り変えると良いよ。分かる。面倒くさいよね。でもやろう。せっかくの人生なのに楽しまずに死んだらもったいないし。具体的にはワガママを言えるようになるだけでも生きるのがだいぶ楽になるよ。だからまずワガママを言えるようになるように練習しよう。慣れてきたら自分自身の人生も好きに生きられるように、ワガママに生きられるように作り変えて行こう。
現在私はお金をためて会社をやめてフラフラ生きていて、それなりに人生を楽しめている。
でも、それほど強烈に生に執着があるわけではない。
たぶん私は今日突然死なないといけない状況になったら「えー!そうなのー!?ざんねーん。せっかくもうちょっと人生を楽しみたかったのにー」と思いながら死ぬと思う。つまり、私の生への執着は「えー!そうなのー!?ざんねーん。せっかくもうちょっと人生を楽しみたかったのにー」くらいのものです。
この文章を読んでいる人の中には私よりもさらに生への執着が薄い人もいると思う。でも生に執着がなくてもあまりそれについて問題視しなくても良い気がする。だってそもそも人間に生きる意味なんてないんだから。