死後の世界のちょっと面白い話
今日は、結構昔にテレビでやってた話をしよう。
ただ、今検索してみても、その時テレビでやってた話が一向に見つからないので、もしかしたら私の記憶違いかもしれない。
なので、今回の話は話半分で聞いてね。
その番組によると、人間が臨死状態に陥ると、その人間の脳は「その人が思っている通りの死後の世界」の幻覚を見せるそうだ。
例えば私達日本人は、死んだら三途の川が流れている世界に行くと想定している人がいるけれど、そういう人は川が流れている世界の幻覚が見えるそうだ。
例えばキリスト教徒は、死んだら天使たちが迎えに来ると想定しているらしいけど、そういう人は天使たちが迎えに来る幻覚が見えるそうだ。
「脳が、死後の世界の幻覚を見せる」っていうのを擬似的に再現できる装置もあって、番組では女性レポーターが実際にその装置を頭につけて体験し、「川が流れていて、川の向こう岸で死んだ人が大勢手招きしていた」という経験……つまり、三途の川の幻覚を実際に見たそうだ。
ちなみに、なぜ脳がそのような作りになっているかは不明だそうだ。
「仏教」「キリスト教」「イスラム教」「無宗教」それぞれで、想定する死後の世界の世界観は異なると思うけど、実際の死後の世界は「誰かの想定が正しくて、誰かの想定が間違っている」ということはなく、いうなれば「全員合っている」っていうことだ。
ちょっと前に「アニメの世界に行きたいから」という理由で自殺したロシアの少年がいるんだけど、もし本当に彼が「死ぬと人間はアニメの世界に行くのだ」と心から信じて死んだのだとすれば、実際に彼はアニメの世界に行ったのだと思う。
ちなみに私が想定する世界観は「死んだら、今の世界と似たような世界に行く」と想定しているんだけど、もし「死んだら、人間が想定した通りの世界に行く」のが事実だとすれば、この私の死後の世界の世界観、もったいなくない?だって、死後の世界を現在の世界よりももっと素晴らしい世界だと想定し、実際に信じ切ることができたなら、もっと素晴らしい死後の世界に行くことができるのに。
まあ、信じ切るためには自己暗示をしないといけなくて、自己暗示って結構難しいと思うんだけど。
でも、例えば私がどこかの宗教の信者になって、その宗教の教えを毎日聞いていれば、その宗教が想定する天国を信じ切ることができるのではないだろうか。
たとえばキリスト教の天国とか。
ちなみにキリスト教の教えでは、キリスト教徒以外は天国に行けないそうだ。なので、私がキリスト教を信じない最大の理由は「キリスト教徒以外を天国に連れて行かないとか、イエス、性格悪くない?」ということなのだけど。
たとえば仏教の極楽浄土とか。
仏教の話として私が思い出すのは小学生の時に学校の先生に聞いた話ですね。極楽浄土では食事の時にめちゃくちゃ長いお箸が出るそうだ。なので、普通に食事することができないんだけど、天国にいる人達は道徳心が高いので、お互いに食事を食べさせ合うことで無事に食事ができるそうだ。
対して地獄に落ちた人は、食事の時にめちゃくちゃ長いお箸が出ても、自分のことしか考えられないので、最後まで食事ができないそうだ。
というわけで、私が仏教を信じない最大の理由は「めちゃくちゃ長いお箸を出して、実際に道徳心があるかどうかをチェックする、みたいな嫁をイジメる姑みたいなことをネチネチやってくる世界に行きたくないな」ということなのだけど。
イスラム教の教えでは、死ぬと「72人の処女がセックスの相手をする」世界に行けるそうだ。
ただ、「72人の処女がセックスの相手をする」世界に行くと、倫理観が無くなって私の人格が壊れるんじゃないだろうか。人格が壊れる結末はハッピーエンドと言えるのだろうか。
まあ、キリスト教も突き詰めて考えると、そもそもイエス自身はユダヤ教徒で、キリスト教はイエスの死後成立した宗教だから、キリスト教徒が死んで天国に行くと「こんにちは!ユダヤ教徒のイエスです!まあ、キリスト教の神でも一応あるけど」みたいになって、キリスト教はなんだか世界観が破綻してる気がする。
仏教もつきつめて考えると、ブッダはそもそも輪廻転生からの解脱、つまり、この世界からの消滅を目的としてたから、仏教はつきつめると「極楽浄土に行ける」んじゃなくて「この世界から消える」ことになるんだけど。
私の「今と似たような世界が死後の世界も続く」っていう世界観も突き詰めて考えると、死後の世界でも殺人事件とかが起きることになってしまうし、死後の世界でも戦争が存在することになってしまうので、私の考えもあまり良いものではないな。
「死後の世界はあなたが好きなようにデザインしていいよ」って言われたとしても、突き詰めて考えると、どのようにデザインするかは結構難しい問題な気がする。
そういえば、もし本当に「死後の世界」が「自分が想定していた通りの死後の世界が見える」のだとすれば、「自分はきっと天国に行くだろう」と思っている人は天国に行くことになり、「自分はきっと地獄に行くだろう」と思っている人は地獄に行くことになるから、その人が天国に行くか地獄に行くかを決める存在は「神」ではなく「自分自身」ということになる。
「私は結構道徳的に行きてきたから天国行けるだろうな」って人は天国行けるし、「私は犯罪を犯しまくったらか地獄に行くだろうな」って人は地獄に行くのだ。だからみんな、ちゃんと生きてるうちは「自分はきっと天国に行けるだろう」って思えるような行動を積み重ねるんだよ。
まあ、今回の話は「臨死状態になると、脳はその人間が想定する通りの死後の世界を見せる」っていう話であって、最終的には脳も死ぬので、脳が死んだ後は実際どうなるのかは本当に誰にも分からないのだけど。