ガルニモ

幸せ探して30年。でもまだ幸せは見つからない。

ネコ

幸福と中二病

私の高校生の頃の将来の夢は小説家になることだった。何を隠そうガルニモのサイトを運営する前は小説サイトを運営していた。というか、ガルニモ自身にも小説コーナーは存在する。今でも隙あらば小説家になるつもりだ。

ある日ネットで小説の投稿を募集している賞があるのを発見しましてね。大賞を受賞すると小説家としてデビューできる、ってあったんで、これは書かねばなるまいと数年ぶりに小説を書こうとしたら、びっくりしたね。一文字も書けない。あの小説家を目指していた私が。一文字も書けない。

これはおかしい。少なくとも昔、まだ私が小説を書くことができていた頃、小説というのは勢いで書けていた。いつも着地点なんか考えていたなかった。着地点を考えずに勢いだけで書いても最終的に最後まで文章を書き終えることができ、あとはちょこちょこ形式を整えるだけで小説という形になっていた。

というか、私が勢いだけで小説を書けないとかありえない。なぜなら、今、まさにこの文章を私は勢いだけで書いているからだ。ちなみに、今の所この文章の着地点も考えていないが、いつも最終的にどうにかしているので、今回も最終的にどうにかするつもりだ。

なぜ『エッセイ』という形式だと勢いで書けるのに『小説』という形式だと勢いで書けないのか?そういえば昔ネットで、プロの小説家は勢いだけで小説を書かずにちゃんと小説家なりにネタの出し方や記述法――つまり、「小説の書き方」というものを持っているというのを見たことがある。ということは「小説の書き方」なるものを学べばよいのではないか。そう思った私は本屋へ行き「小説家という職業」という本を買った。

本は良い。こういう時に本を読む習慣があると、本を読むだけで何でも解決できる。本には小説の書き方として以下のような記述があった。

なるほどね。私はマニュアル人間なんで、この「小説の書き方」通りに今後は小説の教科書を読まず、小説は勢いで書くことにする。小説は自由だ。

いやでも私今勢いが無いの!いきおいが!ない!

正直に言うと、私は本当は自分が小説を書けない理由が分かっていた。しかし、その理由を認めたくなかったため「小説の書き方という教科書を買いに行く」という極めて大人的な対応で対処しようとしてしまった。認めよう。私が小説を書けない理由は、小説という形式で改まって書こうとすると、何やらこっ恥ずかしいからだ。つまり、今の私に足りないのはひとつ。中二病エネルギーだ。

中二病とは、夢を見る力だ。想像し、創造する力だ。

現在学生の皆さんは、きっと周りからこう言われているだろう。「現実を見なさい」と。あたかも誰しもが大人になると中二病を卒業するかのように錯覚してはいないだろうか?否。本屋へ行き、大人向けの自己啓発本を読んでみると良い。「夢を見ろ」「現状を飛びだせ」「変化を恐れるな」と、中二病的なキーワードがほとばしっている。

中二病とは卒業するものではない。中二病は誰しもが大人になっても持っているものだ。大人が学生に対して言う「現実を見なさい」とは「中二病を卒業しなさい」という意味ではない。「『中二病』と『現実』のバランスを考えなさい」と言っているのだ。

『中二病』とは『攻撃力』であり、『現実』とは『防御力』だ。学生のほとんどには『現実』が足りず、大人のほとんどには『中二病』が足りないのだ。なぜなら、学生たちの中では『攻撃力』がある方がよりカッコイイとされ、大人たちの中では『防御力』がある方がよりカッコイイとされるからだ。

例えばあなたが学生ならバンドマンはカッコイイだろう。ヒーローだろう。そのまま芸能界デビューとかしたらもう最強。攻撃力の極地。中二病の極地。でも、私達大人の観点から……、つまり、防御力の観点から見たらどうだろう。趣味でバンドマンは良いけど、プロデビューとかは普通に考えて無理だろう。だって、皆狙っているから。つまり、真面目にプロになることを目指すと、数々の試練があなたを襲い、ヘタすると結構年齢言っているのに未だにフリーターで「音楽でプロデビュー目指してます」とかいう痛い人になる。そして、仮にプロデビューしたとして、それは本当に幸せなのだろうか?有名になったら、外に一歩出るだけで「握手してください」「サインしてください」で、貴方自身のプライベートな時間は持てるのだろうか?例えばあなたが恋愛なんかすると週刊誌が騒ぐし、あなたがもし恋人と別れたりなんかすると週刊誌とお昼のワイドショーがわーわー騒ぐけど、それは本当にあなたは耐えられるの?プロデビューの良いところばっかり見て、ちゃんと「現実」見れてる?

例えばあなたが大人なら公務員にあこがれる。そんなに忙しくないし、滅多にクビにならないし、給料は安定しているし。定年退職後も、公務員の年金で悠々自適。防御力の極地。現実の極地。でも、あなたは忘れてる。なぜあなたが今、公務員とは別の職業についているかを。なぜならそこに、魅力的な中二病要素がなかったからだ。想像が。創造が。あの勇ましい攻撃が。夢みる力が。公務員って全くつまらなそうじゃん。だからあなたは公務員を職業として選択しなかった。あなたが公務員を職業として選択しなかったのは間違いではないのだ。人間は、大人になっても中二病を求めるのだ。

「中二病」と「現実」のバランスをいかにとるかで、その人が幸福になれるかどうかが決まる。「中二病」は確かに夢を見る力だ。幸福の源泉だ。だが、人は夢を見るだけでは生きていけないのだ。攻撃力100%、防御力0%では、生きていけないのだ。想像しよう。中二病全開で生きている人を。彼は現実が見えていない。バンドマンを目指すのは良いだろう。だが、音楽にそれほど才能が無いのであれば、可能性は低くとも、少なくとも戦略を修正しなければならない。自身の音楽力が低いのであれば、スクールに通うべきだ。これはそこそこ現実的な解だ。でも、彼はスクールには通わない。なぜなら彼は、自身の才能を信じて疑っていないからだ。売れないのは、彼の能力が低いからではなく、周りが自身の才能に気づいていないからと信じて疑わないのだ。正攻法でダメなら、奇をてらうのも良いだろう。ビジュアル系アカペラとして売りだしてみたら、正当な歌手としては売れなくても、そこそこ注目してくれるのでは?でも、彼は自身の正当な歌手としての能力を疑わないから、ただただ正面からバンドマンになることを目指すのだ。30歳になっても。40歳になっても。50歳になっても。彼は夢を見ているのだ。きっと、彼の面倒を見る周りの人は不幸だろう。そしてきっと、彼も不幸だ。この原因は、彼の防御力が0だからだ。現実とのバランスを見なければ。

では防御力100%はどうだろう?現実100%なら。彼もきっと不幸だ。だって、幸福の源泉というのは中二病にこそあるのだから。夢みる力にこそあるのだから。防御力100%の彼はきっと何事にも挑戦しない。なぜなら夢を見ないから。彼の人生はただただ平で、幸福もなく、不幸もなく、何も起きず、何も生まず、彼はきっとただ生きるために生き、そして死ぬのだ。

「中二病」と「現実」のバランスが幸福になれるか否かを決める。

昔、「そもそも幸福とはなんだろう?」と思って、幸福を学術的に研究した「幸福の研究」という本を本屋で買ったことがある。

このタイトルの本を買ったと知った時の両親の私を見る目は凄いものがあったね。

母上。私はまだ何の怪しい新興宗教の信者にもなっていません。少なくとも今はまだ。

父上。私はまだ自分自身のことを不幸だとは思っていません。少なくとも今はまだ。

で、この本によると「自分のために何かをする」よりも「他人のために何かをする」方が、幸福を感じる強度が強く、しかも幸福を感じる期間が長いそうだ。宗教を信じる人と、無宗教の人の幸福度の比較もあって、宗教を信じる人の方が幸福度が高かったんだけど、更に調査すると、宗教を信じる人がより幸福な理由は「神様を信じている」からじゃなくて、宗教グループってよくボランティアで募金活動とかゴミ拾いとかいう社会貢献をするじゃん?そういう社会貢献、つまり「他人のために何かをする」機会が無宗教の人よりも多いから、幸福度が強いそうだ。この本を読んで分かったことは、何らかの形で社会に関わって、さらにその社会に貢献することが、幸福になる方法なんだということだ。

例えば部活で友達と一緒に頑張って大会でいい成績を出し、幸福を感じるのも「社会(部活)に関わり、他人(部活の皆)のために奉仕(切磋琢磨して自身の能力を上げ、部活の皆に貢献する)する」から幸福を感じるのだと思う。

会社でプロジェクトを成功させて幸福を感じるのも、「社会(会社)に関わり、他人(会社の皆)のために奉仕(プロジェクトを成功させ)する」から幸福を感じるのだと思う。

この本を読んで感じたことは「あれ、俺これマジで幸福になれないかもしれない」ってことだ。この本では幸福を感じるのに他者の存在を前提としているけど、私、基本孤独だもの。そして、実は私は自身が孤独であることを本質的にはそれほど問題視していないのでは、と疑っている。

私が幼稚園児の頃。ある日私は幼稚園へ行きたくない、と親に駄々をこねた。すると親は言った。「幼稚園に行かないと友達ができないよ。友達と遊べないよ」と。私はそれに答えることができなかった。なぜなら、親が「それは嫌だ」と私が答えることを期待していることが子供心に分かっていたけど、正直本心から「私には友達が欲しいというニーズがない」と思っていたからだ。

正直、友達が欲しいと思ってなかった。現状で満足してた。父と、母と、姉と、弟と、祖父と、祖母がいれば、もう私のニーズは満たされていた。足るを知っていた。なんか大人になっても「足るを知る」が分からない人もいるらしいけど、私は生まれた直後から「足るを知る」が分かってた。もう充分だった。友達なんかいらなかった。

だから、大人になった今、なんとなく「友達を作らねば」って思ってるけど、実はこれは私の本心からの思いではなく、子供から大人になる過程において「友達は大事だよ」と言われ続けた結果、自分で自分を「友達は大事」と洗脳することによって、なんとなく今友達を欲しているのでは、と疑っている。だって世の中で「友達とかどうでもいい」っていう話を見たことがない。「友達大事」っていうのしか見たことがない。私が私自身を洗脳するには充分だ。私の真の心は、友達を欲していないのでは?

さらに、社会人になって一年後くらいに先輩からこう言われたことがある。

「◯◯くんって、他人に興味がないでしょ?」

なにその私の血も涙も無い設定。っていうか「他人に興味がなさそうな人」って見て分かるものなの?確かに私、他人の名前覚えるの苦手だけど。正直、一度覚えてもすぐ忘れるから、真面目に若年性認知症を疑っているのに。っていうか他人に興味がないって。私は魔王か?全く失礼なやつだ。

とプンスカした話を親に言ったら、親が衝撃的なことを言いました。

「うちの家系は代々、他人に興味がないからね」

えぇっ!?うちって代々魔王なの?マジで?他人に興味がない家系ってあるの?存在するの?マジで?血も涙もないの?なんだろう。この言葉のインパクト。「あなたには勇者の血が流れているのよ」と同じくらいの衝撃だよ。「我が一族は代々他人に興味が無い」。正直、人の名前を本当にガチで覚えられないから、ガチで自分のことを心配してたのに。そうなの?魔王だからなの?っていうか他人に興味がない家系の血脈が代々現代の私まで受け継がれるってどういう理屈だよ。どうやって結婚してきたんだよ。

確か昔、「私は文学ファイターで神様のことばかり書いているから、きっと宗教に興味があるのだと思う」って書いたことがあるけど、今文学ファイター見返すと私、結構魔王のことも書いてる。私は実は深層心理では魔王にも興味があったの?そして、その理由は自身が魔王だから?

心の底では友達を欲しておらず、さらには他人に興味もない私が「他者のために何かをなす」ってありえなくね?だって、対象となる他者がいないし、その他者を作りたいとも心の底では思っていないんだもの。じゃあ私は不幸確定か!そして不幸のどん底の中!私の心の中で闇は育ち!ついに真の魔王となるのだ!ここで魔王からのお得情報!魔王の笑い方って私の中では「くっはっはっはっは」なんだけど、Googleで「くっはっはっはっは」で検索するとエロ小説ばかりが検索結果に出るよ。思春期な少年少女たちはぜひ試してね!

つまり、この学術的研究によれば、私にはもはや幸福になる手段が残されていない。いや、本当に幸福とは他者を介在してのみ存在するのだろうか?自身の中に幸福は存在しないのだろうか?いや、ある。中二病だ。

現在、現役で少年少女な方たちは信じられないかもしれないけど、中二病というのは使っていないとやがて衰える。筋肉と一緒だ。逆に言えば、鍛えれば復活する。現在の現役で少年少女な方たちが現実が見えないのは、そもそも親の庇護のもと、そこまで現実と相対したことがないからだ。でも大丈夫。現実も筋肉と一緒だ。鍛えれば強くなる。中二病と現実は、それぞれにMAXが決まっているわけではない。それぞれに鍛えれば絶対値は増えるのだ。中二病を鍛え、絶対値を増やし、想像を、創造を、攻撃力を増やすことで、人は芸術家や映画監督になれるのだと思う。逆に言えば、これらの職業は中二病を鍛えないとなれないと思う。

皆、私の文学ファイターの他の文章を読んで「これ書いてる人はそこそこな中二病だな」と思ってると思うけど、私はこんなものじゃなかった。昔はもっとすごかった。もっと中二病だった。攻撃力に満ち溢れていた。世界を征服しえた。勇者の血を引くあなたを殺しえた。そんな私が小説が書けないとは!認めたくないものだな。自身の能力の衰えというものを。中二病さえあれば、小説を書くのがこっ恥ずかしいなどというどうでも良い理由で小説が書けないなどということはないのだ。中二病さえあれば!

恐らく、現在の私の中二病エネルギーは「35歳までに株で2億を稼いで会社をやめる」という方にエネルギーを使ってしまっているのだと思う。そして、そのために小説を書くための中二病エネルギーが不足しているのだ。っていうかもう数年小説書いてないしね。しょうがないよね。逆に言えば、私の「35歳までに株で2億稼いで会社をやめる」エネルギーは素晴らしい。私は既に確信している。「35歳までに株で2億稼いで会社をやめる」ことを。

お前らもっと他人のせいにしろよの方で「引き寄せの法則とか言う怪しい法則により、もはや私は35歳で株で2億を稼ぐということを確信している」と書いたけど、もはや私は自分なりに「引き寄せの法則」を咀嚼解釈した。

「引き寄せの法則」の本質とは大宇宙と交信することで、大いなる意思とウンタラカンタラではない。私は大宇宙とは交信していないし、大いなる意思とも交信していない。っつーかこっちは魔王だぞ。大いなる意思とか、頭が高いわ。世界征服しちゃうぞこのやろー。

「引き寄せの法則」の本質は確信することにある。確信っていうか、もう、自分の中で決定事項であることが大事だ。

例えば、私の高校の頃の夢は小説家だった。でも、現在小説家になっていない。なぜ未だ小説家になれていないのか。当たり前だよ。だって私、今まで一度も小説の何かの賞に実際に応募したこと無いもの。「小説家になりたいなー」とは思ってたけど、小説家になることは現実的じゃないことは分かってた。だから、なりたかったけど、小説の賞に何か自分の作品を出したこと無い。だって、どうせなれないから。そして、小説をどこにも賞に出せないのなら、当然小説家になれるはずもない。だって、何もしてないんだもの。

小さい頃アイドルになるのが夢で、結局今アイドルになれなかったあなたが、なぜアイドルになれなかったかというと、あなたが可愛くなかったからでは無い。あなたそもそも、一度もアイドルオーディションを受けてない。オーディション受けてないのに、なれるはずないじゃん。そして、あなたがアイドルオーディションを受けなかったのは、心の中で「どうせ私はアイドルにはなれない」と思っていたからだ。

小さい頃マンガ家になるのが夢で、結局今マンガ家になれなかったあなたが、なぜマンガ家になれなかったかというと、あなたにマンガを書く才能が無かったからではない。あなたそもそも、一度もマンガを賞に投稿したことがない。賞に投稿してないのに、なれるはずないじゃん。そして、あなたがマンガを投稿しなかったのは、心の中で「どうせ私はマンガ家にはなれない」と思っていたからだ。

でも、自分が小説家になることを確信している人は、小説を賞にバンバン投稿するのだ。だって、彼はもう自分が小説家になることを確信しているから。そして、一度や二度賞に落ちたからといって、諦めないのだ。自分が小説家になることを確信しているから。だから彼は「あー、ここがダメだったのか」「こう書けば分かりやすいのか」と、バリバリ勉強してバリバリレベルを上げてバリバリ賞に投稿し続けるのだ。もちろん、本当に小説家になれるかどうかは分からないけど、小説家になりたいなー程度の人よりは、かなり高い可能性で小説家になれる。

自分はアイドルになる、と確信している人は、バンバンアイドルオーディションを受けるのだ。だって彼女は自分がアイドルになることは当然だと思っているからだ。アイドルになりたいと夢見てるんじゃなくて、アイドルになることは当然で現実的なことだと思っているからだ。

自分がマンガ家になると確信している人は、バンバン自作のマンガを賞に投稿しているのだ。だって、彼の中では彼がマンガ家になることは決定事項だからだ。ワンピースというマンガを書いている尾田栄一郎さんがどこかのコメントで「小学生の頃、試しに海賊マンガを書いてみたら、長編になりそうだったので、これはジャンプの連載にとっておこうと思った」って書いてたけど、多分尾田さんはこの時、既に「マンガ家になりたい」じゃなくて、「マンガ家になることは決定事項」だったと思う。既にマンガ家になると確信してたと思う。

上記の例がわかりにくいなら「旅行に行きたい」と「旅行に行く」の例なら分かると思う。「旅行に行きたいねー」はきっと行かない。「旅行に行く」はもう決定事項だから、どこに行くか、いつ行くかを決めて、実際に行動に移し、彼は本当に旅行に行くだろう。だって彼は「旅行に行く」と決めて(確信して)いるのだから。

「◯◯したい」と「◯◯と確信している」には絶望的な差があるのだ。例えば、あなたに今夢があり、自分はそれを実現することを確信している、と思っているとしよう。そして本当に確信しているかは、行動を見れば分かる。例えば「起業したい」人は、きっと起業しない。思ってるだけだ。「起業する(と確信している)」人は、既に何らか行動を起こしていると思う。だってもう彼の中で決定事項だから。

そして私は35歳で2億円稼ぐことを確信している。既に、田舎なら新築の家を現金で建てられるくらいの資産は稼いだ。そして、35歳の2億円に向けて、既にそれに届くリスクはとったので、あとは35歳になるまでの残り4年間を待つだけだ。ベストは尽くした。そして、35歳までの残りの4年間もベストを尽くし続ける。

なので、既に私の関心は35歳までにどうやって2億円を稼ぐかではなく、2億円を稼いで会社をやめた後にいかに生きるかに移っている。だって2億稼ぐんだもの。最初は、会社をやめた後、起業しようと思ってた。失敗してもそれほど痛くない程度の小さな起業。「幸福の研究」によれば、社会に貢献することが幸福っていうんだから、「自分の会社」というグループを作って、自分は「自分の会社」に貢献し、さらに「自分の会社」を通じて社会に貢献するのだ。

というわけで、バリバリ起業に関する本を読んでたけど、どう考えても現実的に思えなかった。起業に関する本に出てくる起業しようとする人たちは、人間的な魅力に満ち溢れていて、エネルギッシュだった。これは人間力というのか?私には人間力はなかった。どうせ魔王だし。

35歳までに2億稼ぐという目標に対して、当然株だけでなく、起業と不動産投資に関する手段も考えた。っていうか今でも気が向いたら、起業と不動産投資に関する本を買う。でも、いつも結論は「やっぱり株だな」に落ち着いた。起業に関する本は大体「どうやれば起業が成功するか」のHowTo本が多いんだけど、そもそもどんな仕事を起業すべきかが全く思いつかないし、自分が社長になって他の人を引っ張るイメージもできなかった。だって他人に興味がないんだもの。

不動産投資本は、だいたい不動産投資に成功した人が自分の成功体験と「こういう方法であれば不動産投資に成功しやすいと思う」というのを紹介していた。そして、本を読むことで私は知っていた。恐らく株よりも不動産投資の方が会社をやめられる成功可能性が高いことを。しかも、真面目にやれば、どんな人でも大体不動産投資を始めて「5年」で会社をやめられると書いていた。恐らくそれも真実だと思う。そして、私は今31歳だから、今から不動産投資を始めればだいたい36歳くらいで会社をやめられる。充分である。なので、もしこの文章を見ていて私みたいに「定年まで働かずに可能な限り若いうちに会社辞めたいな」って思ってる人は株よりも不動産投資を勧める。何より、株で稼いで会社をやめるとただの「無職」だけど、不動産投資で稼いで会社をやめると「大家さん」という職業になる。でも、私は不動産投資には手を出さない。なぜなら、不動産投資に成功するには、やはり少なからぬ人間力が必要だからだ。

不動産投資は、もちろん人に任せっぱなしにできるけど、それでも「部屋に入居してくれる人を探す会社」や「建物を管理する会社」とのコミュニケーションが必要だ。そして、不動産投資に成功している人はここのコミュニケーションで自身の人間的魅力を発揮して、すべからく皆味方にしている。「仕事上での協力関係」では無い。「味方」にしているのだ。そして「自分が貸している家が、より魅力的で人が借りたくなくるようにするにはどうすればいいだろう」と自ら積極的に不動産投資に関わり、そういう人が成功しているのだ。不動産投資にも人間力が必要だ。

そして、起業、不動産投資に比べて、唯一株式投資のみが「非人間的」であることが武器たりえた。普通の人間味あふれた人間は、5万、10万の損で動揺するのだ。5万、10万の益で有頂天になるのだ。そして、自分の心に蝕まれ、冷静な判断ができなくなり、やがて大損を喰らい、株式投資から退場するのだ。5万、10万の損が何だというのだ。100万、1000万の益が何だというのだ。もはや私の心は動かない。人の心などとうに捨てた。目の前の値動きで右往左往するとは笑止千万。滅びるが良い、愚かな人間どもめが!我が配下となるならば世界の半分をやろう。私は死なない!何度でも蘇るさ!!

というわけで、私は株式投資で2億稼ぐことは確定しているんだけども、問題は2億稼いで会社をやめた後だ。私には今、会社をやめた後私自身がどうなるかが見えている。孤独死だ。やばい。孤独死する。「ただ生きるために働く」という無限地獄を脱した後に、待っているのは「孤独死」とは!世の中はどうにもままならぬ!孤独死に怯える、他人に興味がない人間。それが私だ。なんて複雑怪奇な人間なんだ。

しかし、会社をやめるまであと4年あるので、それまでにやめてどう生きるべきかを決めよう。

さしあたってひとまずは目の前の小説の賞である。現在、私には小説を書くエネルギーがない。あわよくば小説家になりたいが、このままでは小説家になれぬ。しかし、冷静に考えれば今の私は小説家に「なりたい」であって、小説家に「なる」と確信していない。つまり、私はこの小説にまだ応募するレベルにないのだ。小説家になると自身を確信していないんだもの。

しかし、35歳で会社をやめた後に小説家を目指すのはどうだろう。35歳で会社をやめて、世間の定年が60歳であるとすると私の人生は他人の人生と比べて25年分の余裕がある。小説家を目指すには充分であり、小説家になるには充分であり、小説家になるという確信に足る。だって25年間も頑張れば、小説家になれるに決まってるじゃん。そして、小説家になったなら、きっと世間とそこそこ繋がれて、孤独死からも逃れられるだろう。よかろうならば小説家だ。私は魔王であり、資産家になり、最後には小説家となろう。これが今の所、我が人生設計のベストだ。そして最後には美少女戦士に殺されるのだ。それが、魔王の最後としてのベストだ。私は幸福のうちに生き、幸福のうちに死にたい。