LOVEについて
それぞれの国の言葉には、その国がどのような文化や歴史を歩んできたかが現れる。
例えばモンゴルでは馬を表す言葉が10種類くらいあるらしい。なぜならモンゴルは騎馬民族の国であり、馬とともに歴史を歩んできたからだ。例えば日本だと「色の種類を表す言葉」が他国と比べると多いそうだ。色の種類が豊富にある色鉛筆を買ったことがある人なら知っていると思うけど、例えば「黄色」と一言で言っても、日本語では微妙な色の違いで「黄色」「やまぶきいろ」「レモン色」「ひまわり色」「橙色」「みかん色」……などがある。
つまり、その国の言葉を知ると、その国の文化が何に強いかが分かると思う。モンゴルは馬に敏感で、日本は色彩に敏感なのだ。
逆に言えば、その国の言葉を知ると、その国が何に弱いかも分かる。日本という文化は、何に弱いか。私が思うに、日本は「好き」「愛する」という系統の語彙が少ない。つまり「好き」「愛する」系統の文化に弱いのだ。ちなみに、言語から見ると、「愛」の文化に強いのはインドらしい。インドには「愛」を表す言葉が4種類くらいあるそうだ。
だから、外国語を日本語訳にする際に、昔から日本人は大変苦労したそうだ。苦肉の策で「月が綺麗ですね」と訳したことがあるそうだが、いやそれ分かりにくいよ。
例えば日本では一般的に"LOVE"を「愛してる」と訳すが、『正確にはLOVEは日本語の「好き」よりは重い言葉だが、日本語の「愛してる」よりは軽い言葉である』というのはよく知られている。ということは誤訳と言って差し支えないではないか。間違った訳である。間違いだ。日本にある英語の教科書は今、間違いを教えている。
私は大学はキリスト教系の大学であった。卒業式は、今まで大学の敷地のどこに隠れていたのか知らないが神父様が現れて、愛について語られた。
内容は「愛マジ大事。超大事。愛が全て。マジ全て」的な言葉だった。まあ、最初は普通に聞いてたのよ。確かに愛は大事だから。でも、段々言っていることが過激になってきてね。最終的にこの言葉に全く同意できなかったね。どんな内容かって言うとこんなニュアンスだった。
「愛マジ大事。超大事。愛が全て。マジ全て。愛さえあれば他に何もいらない。だって愛こそ最強。愛こそ至高。愛さえあれば、住むところもいらないし、着るものもいらないし、食べるものもいらない。だって愛が全てだから。愛こそ至高だから。愛さえあればもはや何もいらない。家族もいらないし、健康もいらないし、命もいらない。愛さえあれば世界が滅んだって構わない」
私の過剰な演出が入ってるけど、これに匹敵するくらいのことを言ってたのよ。キリスト教は過激宗教かな?しかし、もしかしたらこの言葉はLOVEを「愛」と訳しているからこそ同意できない言葉になってしまっているのではないか。LOVEに対して日本語の適切な訳を当てはめることができれば実は同意できる言葉になるのではないか。
しかし、今まで"LOVE"を、日本人が誤っていると知りながらも苦肉の策で「愛する」と訳してきたということは、実は日本語に適切な訳が存在しないのではないか。日本語が「愛」に関して他国より劣っているのではないか。
逆を言えば、私がここでLOVEに対して適切な日本語訳を発見できれば、私の名は日本翻訳協会に「革命家」として永遠に刻まれることになるのだ。
これを見ている皆さんの中には「例えば『愛』を『とても好きだ』とか『少しだけ愛している』って訳しちゃダメなの?」と考えている人もいるかもしれない。それはなかなか面白いアイデアだけど、"LOVE"をそう訳してしまうと、今度は"I like you very much."や"I love you a little."をどう訳すべきかの問題が出てきてしまう。「"とても"好き」や「"少しだけ"愛している」という風に誤魔化すのではなく、やはりLOVEに対してそのものズバリの訳を当てる必要があるのだ。
日本語に存在する「好き」より重く「愛している」より軽い言葉。私は最初、日本の絶滅言葉の一つ「ほの字」はどうかと思った。「ほの字」――昭和生まれくらいが使う、相手に惚れていることを表す言葉。「ほの字」とは「"ほ"れている」という言葉の「ほ」の文字を取り出して「ほの字」と表現することで、好意があることを示しているのだ。言葉のインパクトは間違いなく「好き」より強い。
ただ、言葉のインパクトは間違いなく「好き」より強いけど、純粋な言葉の意味としては「ほれている」つまり「好き」と同レベルなんだよね。よって残念ながら却下である。
私はもっとシンプルに考えれば良いことに気がついた。日本人は、彼女と出会い、好きになり、そして愛する。この間に何があるか。そう「恋」である。つまり"LOVE"を「恋する」と訳せば、万事うまく行くのである。「恋する」は「好き」より重い言葉であり、「愛している」より軽い言葉である。勝った。これで私の名は革命家として日本翻訳協会に永遠に刻まれることになったのだ。
神は言った。
「汝、汝の隣人を恋せよ」
翻訳初心者は言うだろう。この訳は違和感があると。愚か者。今まで「愛せよ」と訳されていて、それに何となく聞き慣れているからそう感じるだけだ。正しくは「汝、汝の隣人を恋せよ」で合っているのだ。
「あなた方は永遠の恋を、誓いますか?」
「えー?この場合は『愛』の方がふさわしくない?」とか言うのだろう。愚か者。現実には3組に1組が離婚するこの時代に軽々しく「愛」とか使うな。「恋」で充分だ。むしろ"LOVE"に「愛」という訳語を当てたことで「愛」本来の価値が下がってるわ。いいかお前ら。「愛」は好きな人のために死ぬ時だけ使え。それ以外は「愛」の使用を禁止します。
「恋マジ大事。超大事。恋が全て。マジ全て。恋さえあれば他に何もいらない。だって恋こそ最強。恋こそ至高。恋さえあれば、住むところもいらないし、着るものもいらないし、食べるものもいらない。だって恋が全てだから。恋こそ至高だから。恋さえあればもはや何もいらない。家族もいらないし、健康もいらないし、命もいらない。恋さえあれば世界が滅んだって構わない」
ほらね。反感しか生まなかった過激宗教の言葉が「恋」という正しい訳語を当てることで、「あ、これラノベだ」と、正しい受け取り方が出来る。つまり、私の大学の卒業式に来たあの人は実は神父様じゃなくて、ラノベ作家だったんだよ。
そして、この結果、実は英語は日本語より「愛」に劣っている言語だということが分かる。だって英語は日本語の「好き」と「恋する」に対応している言葉はあるけど「愛する」に対応する言葉はないんだもの。日本だって愛の文化に関して海外に負けてないんだよ。