「真面目」と「努力」について
今日は私の「真面目」と「努力」に関しての思い込みの話をしようと思う。
まず、私は基本的に「真面目」だ。信じてもらえないかもしれないけど。だから「真面目さ」を要求されれば、ちゃんと真面目でいることができる。そして私は「努力」もできる。だから「努力」を要求されれば、ちゃんと努力することができる。
そんな「真面目」で「努力」もできる私の思い込みとは「そもそも日本人の多くが基本的に『真面目』という能力と『努力』という能力を持っているのでは?」ということである。
もちろん世の中には「不真面目」な人もいるし「努力できない」人もいる。でもその人たちって結構少数派じゃない?
例えば今この文章を読んでいるあなたも基本的には「真面目」だし「努力」もできるんじゃない?多分。そして、あなたの友達や同期も基本的には「真面目」とか「努力」とかいう能力は基本的な能力として持ってない?
もちろん性格として「明るい」とか「暗い」とか「おちゃらけてる」とかあるかもしれないけど「明るい人」も「暗い人」も「おちゃらけてる人」も「真面目さと努力」を要求されたら、大部分は普通に「真面目さと努力」を発揮して要求に応えられると思うんだよね。
そしてこの「真面目」と「努力」という特殊能力は日本人だけが持つ能力ではなくて世界中の人が普通に持っている能力なんじゃないかという気がする。
例えば最近ではコンビニ店員が外国人であることも珍しくないけど、彼らってみんな「真面目」だし「努力」もできてるじゃん?「真面目」だし「努力」もできるからこそコンビニ店員ができてるんだし。
私って学生の頃は基本的に「真面目」と「努力」という能力だけを単純に使って人生を乗り越えてたけど、今思えば私ってめちゃくちゃにバカだったな、っていう思いがある。
確かに私は「真面目」と「努力」という能力が人よりもやや強かったかもしれないけど、やや強かっただけであって、強弱はあれどみんな「真面目」と「努力」という能力は持っているのであって、全員が「真面目」と「努力」という能力も持っている中で、自分も周りと同じように「真面目」と「努力」という能力で戦ってしまったら、それはもう単純にスペック(能力)の戦いになってしまって、スペック(能力)の低い人には勝てるかもしれないけど、スペック(能力)の高い人にはどう足掻いても勝てない戦い方をしてたな、って思う。
例えるなら、自分より能力が低い人にも能力が高い人にも「正面突破」の一辺倒だけで戦いを挑むような愚かしさだった。
そして、自分よりもスペック(能力)が高い人に勝つために、むやみやたらに「努力」するのではなくて、「どういう努力をすれば効率的に能力が上がるか」とか「どういう努力をすれば最短で目標を達成できるか」みたいな考え方ができれば良かった。つまり「賢い真面目さ」「賢い努力」ができれば良かった。
多分皆さんの周りに勉強はできるけど頭は悪い、っていう人がいると思うけど、私も典型的な勉強はできるけど頭は悪い、みたいな人だったなー、という思い(今も私は勉強できるけど頭は悪いみたいな人間だけど)。
まあこの視点は大人になったからこそ分かることなのかもしれないけど。