良いことをしていれば、きっと神様は見ていてくれる
明治時代の日本に安田善次郎という実業家がいました。彼は大変なお金持ちでした。
彼は「善い行いというものは、人に見せびらかすようにするものではなく、バレないようにするものだ」という極めて日本人的な道徳観の持ち主でしたので、世間にバレないように匿名の寄付などを行っていました。
しかし彼は、とある青年に暗殺されることでその生涯を閉じます。その青年も、安田善次郎を殺した後にすぐ自殺をしてしまうのですが、青年の残した手紙にはこう書かれていました。
『自分のお金儲けのことばかり考えて、全く世の中の為になることをしない者に天罰を』
安田善次郎は、人にバレないように善行を行った結果、本当にマジで全然バレなかったので「金儲けばっかりして、全く善いことをしやがらねぇ」と勘違いされて殺されました。
じゃあ、善行をしないほうが良いのかというと、そういうわけでもありません。だって、安田善次郎が殺された理由は「全く善行をしやがらねぇ」という(勘違いした)理由だからです。
いいか、お前ら。善行はバレるように行なえ。マジで隠れながらやると、マジで神様も気づいてくれない。