やさしさと真面目さと意志の強さと
やさしさの話。今まで生きてきて思ったことは「やさしい」という性格は必ずしも正しい性格では無いな、ということだ。むしろ、ほとんどの場合において間違っている。つまり、この文章を読んでいるあなたが「やさしさって大事だな」って思ってるなら、あなたは間違ってる。正確に言えば「強い人」はやさしくあるのが理想だけど「弱い人」はやさしい性格というのは損すると思う。
私は小さい頃やさしい性格でした。少なくとも、やさしい性格であろうとしていました。で、やさしい人なら分かると思うけど、なんか結構面倒事を押し付けられるのよ。そして、断れないのよ。やさしいから。結果、やりたくないこともやるのよ。やさしいから。よって、これを読んでいるそこのあなた。あなたがもし「弱者」かつ「やさしい人」なら、貴様はいま不幸だ。間違いない。
で、別にやさしい人が自分の責任において自分の範囲内でやさしくして、勝手に不幸になるのは構わない。自己責任だから。でも、商売をしていて、上司がやさしいと最悪だ。やさしい上司だと、お客さんの無理な注文を聞いちゃうのだ。「今更そんな改造無理ですよ」とか「納期を早める」とか無理なのだ。でも、やさしい上司はお客さんの無茶な要望を聞いてしまうのだ。やさしいから。そして疲弊する部下たち。ブラック企業化する会社。この原因は貴様がやさしいからだ。
正直、やさしい人がやさしい性格なのは分かるんだ。私も元々やさしい性格だから。まず「やさしい性格」っていうのは社会的に正しい性格とされている。そして「きっとこういうやさしい性格をしていると、誰かが頑張っている私のことを見ていてくれて、そのうち良いことがあるだろう」的な感じでしょ?分かるよ。で、多分、うまいこといけば本当に誰かがあなたのことを見ていてくれて、あなたに良いことがある場合もあると思う。でも、上手く行かない場合は、あなたは単に「やさしい人」じゃなくて「利用しやすい人」になる。なんでも言うことを聞いてくれる便利な人になる。そしてあなたは不幸になるのだ。
たとえば、あなたのクラスや会社の人たちを思い出して欲しいんだけど、まずリーダーオーラ出してる人。あなたが「この人立派だなー」って思ってる人。この人って大体「強くてやさしい人」じゃん。断るときは断るし、困ってる人は助けるし、少なくとも「ただ単に利用される人」に落ちぶれようがない人。要するにバランスよくやさしい人。こういう人が理想だよね。
で、もう一人思い出して欲しいのが「優柔不断な人」。やさしいけど、なんか頼りないんだよねーって人。意志を持たない人。「私はやさしい性格であらねば」って思ってる人は大体こっちだ。「弱くてやさしい人」だ。この人はそんなに尊敬されてる訳じゃない。なんでか分かるか?
なぜならこいつには「こうしたい」という意志がないからだ。意志がある人は「これは正しい。これは正しくない。困っている人は誰に頼まれなくても助ける。面倒事を押しつけられそうになったけど、これはこの人自身が自分の力でやるべきことなので断る」っていう一本筋が通ってる。「強者」には「こうあるべき」っていう意志がある。でも、あなたは「頼まれたら、私はやさしい性格だからやってあげないと」になってる。あなたには意志がない。っていうかそれはやさしい性格とは言わない。ただ単に断れないだけだ。断って、誰かを怒らせるのが怖いのだ。お前は弱者だ。永遠に不幸であり続けるがいいわ!
で、意志がないっていうのは結構な大問題だ。あなたは認識してないけど。「やさしい人でありたい」っていうのは意志とは違うんだ。うーん、説明が難しいけど。例えば、もう5、6年前のニュースだったと思うけど、元オウム真理教の宗教に信者が増えてる、っていうニュースがあった。で、ニュースでは入信した女子学生が映ってた。で、インタビュアーに「なぜ入信したんですか?」って聞かれて、この女子学生、なんて答えたと思う?「信者が頑張って入信を薦めていたし、この宗教は世間に批判されていて可哀想だと思ったから」。やっさしー!!でも間違ってるー!!
たぶんこの女子学生はオウム真理教が事件を起こしたときはまだ子供だったんだと思う。つまり、リアルタイムで事件を認識してなかった。でも、少なくとも知識としては知ってるはずじゃん。なかなかすげぇ事件を起こしたなかなかにヤバい宗教ってことを。この宗教が起こした事件で多くの人が不幸になってることを。
あなたは、この女子学生がやさしいのは分かるだろう。でも、この女子学生が間違っているのも分かるだろう。やさしい弱者を極端に言い表せば、この女子学生だと思う。で、やさしいお前は客観的に見てこの女子学生はこのあと幸せな人生を送れると思う?この子は「こう正しくあるべき、これは間違っている」っていう意志がないんだよ。ただ単に「私はやさしくあらねば」っていう結果がこれだよ!
真面目な人の話。真面目さっていうのは別に悪くない。むしろ良い性格だと思う。この性格自体には問題がない。問題は、真面目な性格に至るまでの過程だ。真面目な人は、多分勉強得意だ。だってマジメだもの。つまり、家でも勉強してる。だって真面目だもの。塾とかにも行ってるんじゃないの?だって真面目だもの。でも、自ら進んで「勉強大好き!だから勉強やりたい!」ってことはないと思う。だから、あなたが真面目なのは恐らく親に「勉強しなさい」って言われたからだ。そしてあなたは親に言われるがままマジメに勉強し、親に言われるままそこそこイイ感じの高校に進学し、親に言われるままそこそこイイ感じの大学へ行くのだ。
いや、いいんだけど!いいんだけど!完成品のあなたは、意志がない人間なのよ!あなたのここまでの人生にあなたの意志がほとんど反映されていないのよ!結果、あなた別に特にやりたいことがない人間ができちゃうのよ!意志薄弱なの!欲がないの!無欲なの!悟ってるの!悟りの境地に入ってるの!ブッダなの!私がここで問題にしたいのは、あなたに意志がないことなの!
で、真面目な人間って大抵の場合やさしい人間なんですよ。だってクラスのやさしい奴思い出してみ?あいつ大抵真面目じゃん。やさしく真面目で意志薄弱。お前はヤバい。そして私もヤバい。なぜなら私もやさしく真面目で意志薄弱な人生を送ってきたから。悟ってるから。ブッダだから。
私の話。正直、人生でめっちゃやりたいってことがない。死ぬまでに絶対にこれをしておきたい、っていうことがない。もちろん、美味しい物が食べられるなら食べてみたいし、面白い漫画があれば読んでみたいけど、別に明日死んでも特に思い残したことはない。
例えば私は会社辞めたいとは思ってるけど、「会社やめて○○したい!」ってことがあるんじゃなくて、単純に会社を辞めたいだけで、別に「会社やめて旅行に行くぞ!」とも特に思ってない。幸せを求めて会社を辞めたいんじゃなくて、不幸を打ち消すために会社を辞めたい。プラスを求めてるんじゃなくてマイナスをゼロにしたい。つまり、実は私も「○○がしたくない」ってことはあるけど「○○がしたい」ってことがない。私も欲がない。
つまり、正直、私生きる意味がない。生きる理由がない。うっすらと「生きてる間に思い出作りたいなー」的な私なりの冥土のみやげ理論があるけども、でも別に「思い出作らねば!!」的な切迫した思いはない。だから、本当に生きる理由がない。
私、正直生きる理由がないから、宗教とかものすごく興味あるのよ。人生の意味を求めて。だって、生きてる理由ないなら死んでも良くね?って思って。なんで生きてるんだろう、って思って。「なにこいつ、ヤバい奴じゃん」って思うと思うけど、私も私自身をヤバいやつだと思ってる。
だから私は一歩間違えれば怪しい宗教の信者になってたと思う。なぜ怪しい宗教の信者になってないかというと、そういう宗教とのつながりがないからだ。友達いないからだ。友達いなくて本当に良かった。
だから、宗教本を読むことを極力避けている。まかり間違って私がハマるとヤバいから。一時哲学本なら大丈夫じゃないかと思って読んだことあるけど、哲学特に面白くなかった。
で、やさしく真面目な人って怪しい宗教にハマりやすいんじゃないかと勝手に思ってる。意志がないから。なんか前に親が言ってたけど「なんかの宗教を信じてる人って大抵やさしいんだよね」って言ってたし。確かに、性格の悪い信者とか聞いたこと無い。
でも、冷静に考えると別に私神様を信じたい訳じゃない。何かの信者になりたい訳じゃない。「生きる意味ってなんだろう?」が知りたいだけだから、分かりやすく言えば、2 + 3の答えが知りたいだけで、塾に入りたい訳じゃない。むしろ神が私の上に立つのは許さない。常に私の人生の主導権は私が握っていたい。神とかよく分からないものに私の意志決定権を与えたくない。つまり、私は意志を持ちたいと思ってる。
で、私の宗教に関する知識は、素人の域を出ないんだけど、なんか全ての宗教が「死は怖い」「だが、この宗教を信じていれば救われる」っていうものらしい。キリスト教もイスラム教も仏教も。それ以外の怪しい新興宗教も。でも、正直、そこは私はクリアしてるんだ。別に死ぬのは怖くない。むしろ、死ぬの怖くないから、生きる理由が欲しい。
で、これは私の勝手な思い込みだけど、別に私だけじゃなくて、そこそこの人が「死ぬの別に怖くないなー」って思ってるんじゃなかろうか。例えば刺されて死ぬ、とか病気で苦しんで死ぬ、とかは確かに嫌だけど、痛みも苦しみもないなら「死」自体は別に怖くないって人は一定数いるんじゃないか。で、しかもそういう人達って特に宗教信じてないと思う。私も信じてない。
考えてみれば、宗教ってまず「死ぬと地獄に落ちるのだ!」「死後の世界は怖いのだ!」って教えてる。確かに人類の歴史で見れば「死」には「病気で苦しむ」とか「戦争で殺される」とか否定的な意味合いのものが付属してたから自然と「死後の世界も怖いのだ!」っていう考えが生まれたのだろう。
でももう現代の日本となると、たしかにやっぱり死はそれほど喜ばしいことではないけど、不治の病にかかった人もそこそこ延命治療で死後の準備ができるし、戦争もないしで昔ほど死に対して強烈な否定感はない。
そして何より、宗教を信じてない私達ってそもそも「死後の世界は怖いのだ!」って習ってない。だから別に死後の世界は怖いとは思ってない。確かに小さい頃は「地獄に落ちると閻魔様に舌抜かれるんだ」って怖かったけど、もうこの年齢になるとその話も「桃太郎の童話ね」的な感じで全然怖くない。
つまり、逆説的に言えば「死後の世界が怖いと習う宗教を信じると死後の世界が怖くなり現世にしがみつく」けど「宗教を信じないと、そもそも死後の世界が怖いとも習わないから、死ぬのも怖くない。あれ、これ宗教家のレベルを超えてない?」って状態になるのだ。つまり、無宗教家の我々日本人はもはや神の領域に達してるのだ。我々は神なのだ。っていうか「死が怖い」をベースにしたキリスト教とかイスラム教とか仏教ってもう時代遅れなのだ。死が怖いとか(笑)。だっせー(笑)。おっくれってるー(笑)。
満たされた世界と欲の話。みんな、小さい頃「大人になってお金を自由に使えるようになったら、絶対にチョコレート買いまくって食いまくってやる!」って一度は思ったと思う。大人になった今、やってます?やってないでしょ?私もやってない。特にやりたいとも思わなくなった。いや、やろうと思えばいつでも出来るんですけどね。あとマンガ好きなら小さい頃「マンガなら少年漫画でも青年まんがでも少女漫画でも何でも好きだから、大人になったら全部買いまくってやる」って一度は思ったと思う。大人になった今、やってます?やってないでしょ?私もやってない。やろうと思えばできるけど、やりたいとも思わない。
つまり人間は、手に入らない状態だと、それがものすごく欲しくなるけど、いつでも手に入れられる状態になると特にそれがしたいとは思わなくなるんだと思う。で、現代の日本って別にお金持ちじゃなくてもそこそこ楽しく生きられるじゃん?ゲーム機もってなくてもスマホかパソコンでゲームできるし、貧富の差が広がってるとは言っても、まだ餓死者が多数出るほどのことでもないし、戦争が起これば生に執着するかもしれないけど日本平和だし。つまり、日本、満たされてるのよ。もう「基本的なやりたいことは全て満たされてるから、もうやりたいことないな」ってレベルの人が出始めてるのよ。つまり「悟りレベル」の人が日本では生まれ始めてるの。私もその一人なの。
仏教を作ったブッダさん知ってる?あの人、王子なのよ。あの時代の「何でも手に入れることが出来た人」なのよ。つまり、あの人も「何でもやりたいことできたから、もう欲ないな」って思って、死も怖く無くなったんだと思う。なにそれ、簡単じゃん。私にもできたわ。っていうかこの文章読んでる人も何人かは「あ、それ、私もできてます」って人がいると思う。悟りを開くには「貧しくとも心清らかであれ」が正解なんじゃなくて、「まず欲がなくなるほど何でも手に入る状態になれ」が正解なんだと思う。つまり、今仏教教えてる人は間違えてる。貧しくても清らかとかじゃなくて、まず欲が無くなるほど何でもしたいことをするのだ。そう考えると、昔の清貧を貫いた偉い仏教徒とか、すごく間違った教えを信じてたんだなーと思う。っていうか、仏教開いたブッダ自身も「自分が死が怖くないのは、一旦欲が無いほど満たされたからだ」ってことに気づいてなかったかもしれない。これ、仏教徒の人が見たら怒るかもしれないけど、でも現に私、別に心清らかじゃないけどそんなに死ぬの怖くないし。で、これ見てる人の何人かも別に心清らかでなくても死ぬの怖くない人いると思う。
だからなんとなく「宗教後進国」って言われる日本だけど、正直、日本「宗教先進国」だと思う。だって、現に死ぬのが怖くない人が生まれ始めてるから。で、今後科学技術が発展してますます社会が豊かになると、ますます死ぬのが怖くない人が増えるのだ。日本は「無宗教国家」であるがゆえに「宗教国家」を超えたのだ。で、逆に宗教国家である国が日本のレベルになるのは難しいと思う。だって、宗教国家の彼らは生まれると「死後の世界は怖いのだ」と習うからだ。それどころか宗教を理由に戦争すら起こすし。おっくれってるー。
つまり、日本は「宗教国」の「死が怖い」の次のレベル、「生きる意味ってなんだろう?」を探す時代に突入したのだ。だって、死ぬのが怖くなくなると、生きる意味が無くなるじゃん?私はなんとなく「生きてる間に思い出つくっておこう」っていう、なんか悟りを開いた割には凄く小市民的な理由で生きてるけど、っていうかここまで書いて気づいたけど私が宗教を信じたり学んだりする理由がないわ。だって宗教もう時代遅れじゃん。
アイドルの話。アイドルって、正確に日本語に訳すと「偶像」っていう意味なんだって。「偶像」ってピンとこないと思うけど、例えばイスラム教が「偶像崇拝を禁止している」の『偶像』だと聞くと、ちょっとイメージできると思う。私的には、崇拝対象となる神の形をかたどった何か、的なイメージ。で、アイドルオタクは「○○ちゃんがアイドルである限り死ねない」が理由で生きていいと思う。今の時代はそんな神様と秋葉原で握手すらできちゃうらしいし。
カリスマ美容師っていう言葉を初めて聞いた時、「何そのものすごく間違った日本語」って思った。カリスマって、人々を導く力のあるすごい人的な意味だと思うんだけど、だってイエス・キリストが右手にハサミ、左手にクシをもって人々を導いてるの想像してみ?変だよ。でも「私は髪を切るときはあのカリスマ美容師に切ってもらうと決めてる」と言う人もいると思う、いいと思う。
ものすごくいい音楽とかものすごくいいマンガとかものすごくいいアニメに、皆「神歌!」とか「神マンガ!」とか「神アニメ!」とか簡単に言ってると思うけど、もうそれでいいと思う。神という言葉をバンバン気軽に使っていいと思う。
多分、日本はこれからどんどん死ぬのが怖くない人が増えて、皆神レベルに達すると思う。で、他の国は達せないと思う。なぜなら日本は無宗教国家で、他の国は宗教国家だから。だから、日本はどんどん西洋化して日本文化がなくなっていくと言われてるけど、日本のオリジナリティは消えないと思う。だって世界にほとんど類を見ない無宗教国家だから。私達にしか作れない文化があると思う。そう考えると日本文化はまだまだ捨てたもんじゃないね。
ここまで書いて、初めから読んでみたら、ワシ最初全然別の話してるやん。最初言いたかったのは、意志薄弱だったら怪しい宗教とかにハマってしまうから気をつけてってことと、自分の人生、生き方は自分で決めたほうが楽しいよ、だから何か意志を持って生きるといいよ、ってことだったのに。
あと、宗教信じるくらいなら、本を読むといいよ、ってことも言いたかった。別に精神系とか哲学系の本じゃなくて、小説とかマンガとかでも色々学ぶことあるよ。少年ジャンプから「友情・努力・勝利」の大切さを学んでもいいし。あと、本だけじゃ精神の支えにならないって言うなら音楽も聞くといいよ。別に素晴らしい音楽とかじゃなくてアイドルとかアニメの音楽でもいいよ。音楽はいいね。特に何かで傷ついているときには心に染み渡るね。精神的な支えがなくて宗教に依存すると、自分の生き方をその宗教に定義させられちゃうけど、音楽や読書に依存すれば、どの音楽聞くかとか何の本を読むかはあなた自身が決められるから、常にあなたの人生の主導権はあなたが握れるよ。例えば世俗にまみれた「彼女の作り方」「東大に入る方法」もあれば、「7つの習慣」とか「20代のうちにやるべきこと」的な立派な人間になる方法もあるから自分で生き方を選択できるよ。ちなみに今私はお金持ちになって会社辞めたいから「お金持ちになる方法」的本をメッチャ読んでるけど、私の中で「立派な人間になりたい」という目標は無いから「7つの習慣」は読んだことがない。お金持ちになって暇になったら立派な人間になろうと思う。
本って例えば立派な人間が「私みたいな立派な人間になりたければこれをすればいいよ」的な本が多いと思うけど、これは私が勝手に思ってるけど、実は本を書いている人は全然立派なんじゃなくて、本を書いてる人たちは「ちっくしょー!!若いうちにこれをやってればよかったー!!やるべきだったー!!そうすれば私はもっと良い人生を送れてたはずなのにー!!」ってのが多いと思う。つまり、彼らが人生を通じて学んだ「○○やるべきだった」を学べるのだ。中学生のお小遣い程度の金額で。利用しない手はないよね。あと、マンガや小説もマジメにオススメしてる。あの中のストーリーを読んで疑似体験することで、実際にその経験をしなくても色々学べる。「こうすべきだった」とか「こうすべきじゃなかった」とか「こういう人生送りたい」とか。文化は人を豊かにするとマジメに思ってる。だからマンガもバンバン読みな。私、ワンピースとかワンパンチマンとかケンガンアシュラとか、正直あまり人生の役に立ちそうにないマンガも読んでる。単純に面白いから。単純に面白いからの理由でマンガ読んでもいいと思う。文化は人の精神を豊かにする。
宗教に依存しちゃったらただのヤバいやつだけど、読書と音楽に依存したら文化人だよ。
意志を持て。本を読め。音楽を聞け。あなたは神様なんだから、あなたの生き方はあなたが決めるんだ。