道徳の誤りについて
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
1月も半ばを過ぎたので、そろそろ何か書いておきたい。
道徳は素晴らしい。善人であることを奨励しているし、真面目であることを奨励している。そして、善人であることは正しいし、真面目であることも正しい。だから私たちは善人であるように努めるし、真面目であるように努める。
でも、善人であっても辛い人生になったり、マジメであっても辛い人生になったりする。そうなると私たちは運命の神様に文句を言うのだ。「私はこんなにも善人だしマジメなのに、なぜ報われないのか」。
私が考える道徳の誤りとは「善人であればいつか報われるよ」「真面目に頑張っていればいつか報われるよ」という教えである。
善人を奨励することは正しいし、真面目であることを奨励することも正しいけど、「そうすればいつか報われる」というのは根拠がない。理屈が不明。
冷静に考えればこれは当たり前だ。Aを努力すればAになる。Bを努力していないならBにならない。
私たちが「善人になる」努力をすれば「善人になる」。
私たちが「真面目になる」努力をすれば「真面目になる」。
私たちが「楽しい人生になる」努力をしていないなら「楽しい人生にならない」。
日本人は道徳を信じているので「善人になる努力」「真面目になる努力」はしているけれど、「そうすれば自動的に報われる」という誤りも信じているので「楽しい人生になる努力」を怠っている。
だから私たちに必要なのは「楽しい人生になる努力」だ。
でもこれは「善人である努力をするな」とか「真面目である努力をするな」ということではない。だって、善人であることや真面目であることと楽しい人生であることは矛盾しないからだ。両立できるからだ。
だから「善人である努力」や「真面目である努力」を引き続きしてよくて、それと同時に「楽しい人生になる努力」も忘れないでね、という話です。