アドバイスを聞く時の心構え
人のアドバイスを聞く時の心構えの話でもしようかと思う。人のアドバイスを聞く時は、まず前提として
「この人のアドバイスの通りにしたとしても、この人が私の人生の全てを保証してくれるわけではない」
という心構えが大切だ。
例えばあなたが全て親のアドバイスの通りに生きていたとしよう。結果、あなたが不幸になった場合、親は言うでしょう。「え?不幸になったの?へー。ごめんね」である。あなたは不幸のままだ。あなたの親はあなたの人生にアドバイスは出来るけど、あなたの人生の責任が取れるわけではない。
仮に、もしあなたが不幸になったことに責任をとって親が自殺したとしよう。親が自殺したあと、あなたは相変わらず不幸である。だって、何も解決してないんだもの。
例えばあなたが全て尊敬する人のアドバイスの通りに生きていたとしよう。結果、あなたが不幸になった場合、あなたが尊敬する人は言うでしょう。「え?不幸になったの?へー。ごめんね」である。あなたは不幸のままだ。あなたが尊敬する人はあなたの人生にアドバイスは出来るけど、あなたの人生の責任が取れるわけではない。
仮に、もしあなたが不幸になったことに責任をとって尊敬する人が自殺したとしよう。尊敬する人が自殺したあと、あなたは相変わらず不幸である。だって、何も解決してないんだもの。
例えばあなたが全て宗教のアドバイスの通りに生きていたとしよう。結果、あなたが不幸になった場合、神様は言うでしょう。「え?不幸になったの?へー。ごめんね」である。あなたは不幸のままだ。宗教はあなたの人生にアドバイスは出来るけど、あなたの人生の責任が取れるわけではない。
仮に、もしあなたが不幸になったことに責任をとって宗教が解散したとしよう。宗教が解散したあと、あなたは相変わらず不幸である。だって、何も解決してないんだもの。
もしこの文章を読んでいる学生がいたら「良いアドバイスには従うべきだ」と思っているかもしれない。それは誤解だ。現実には「良いアドバイスだけど今回は無視しよう」ということがある。
例えば28歳の女性がアイドルになりたいと思ったとしよう。そして彼女は友人Aにアドバイスを求めるのだ。友人Aは言うでしょう。
「もう年齢が28歳なんだから、現実見なよ。以前から芸能活動していたのならともかく、今からアイドル目指すのは無理だよ」
これは堅実的なとても良いアドバイスに見える。でも、友人Aの言うとおりにした結果、いつまでも「やっぱりアイドルを目指して挑戦すればよかった」と思いながら生きて、死ぬ前に「駄目でもいいから挑戦だけでもすればよかったな」と思いながら死んでも、友人Aは責任をとってくれない。なぜなら女性の人生の責任は女性自身にしかとれないのだから。
では、友人Aではなく友人Bに相談した場合はどうだろう。友人Bは言うでしょう。
「年齢を言い訳にせずに、やりたいことはやってみればいいじゃない」
これは人を勇気づけるとても良いアドバイスに見える。でも、友人Bの言うとおりにした結果、会社をやめてアイドルに挑戦し、いつまでもアイドルになれず、アイドルを諦めて正社員に戻ろうとしても給料の安い仕事にしかつけなくなり、アイドルに挑戦したことを後悔したとしても、友人Bは責任をとってくれない。なぜなら女性の人生の責任は女性自身にしかとれないのだから。
だから、アドバイスというものは従うべきものではなく、あくまで参考にすべきものなのだ。そして、どんなに素晴らしいアドバイスだとしても、あなたが自分の責任のもと「無視すべきだ」と判断したら無視すべきなのだ。
だって実際にあなたの人生の責任はあなた自身にしかとれないのだから。
人生の最大の不幸は、誰かのアドバイスどおりに生きて、人生の取り返しがつかなくなった時に初めて自分の人生の責任を誰にも押し付けることができないことに気づくことだ。
あなたの人生の責任は誰にも押し付けることができない。あなた自身の責任のもとに判断するしか無い。
誰かのアドバイスに従うというのは、自分が乗っている車の運転を誰かに任せるということだ。そしてその誰かは、車が事故を起こしてあなたが死んでも責任をとってはくれない。
だから、あなた自身があなたの車を運転しないといけない。実際にはそれでも事故は起こるかもしれない。それでもあなたはあなた自身に責任を持っているので、他人に任せるよりも注意深く運転するはずだ。なによりも、あなたは誰よりもあなた自身のことを知っている。つまり、自然に考えれば自分で自分の人生を運転するのが一番うまくいくはずだ。
あなたが運転しろ。カーナビは無視すべき時は無視しろ。