
主体的に生きるとは
不幸のどん底にいる皆さん、こんにちは。元気ですか?今日は不幸のどん底から抜け出すための方法「主体的に生きる」の話をしよう。
あなたが不幸のどん底にいる理由は、あなたが自分の人生を「辛くない方向に向かうよう努力する」「楽な方向に向かうよう努力する」「楽しい方向に向かうよう努力する」ということをしていないからです。自分の人生を自分でコントロールしようとしていないからです。
もちろん「自分の人生を自分でコントロールする」ということは、「そのコントロールの結果に自分で責任を持つ」ということです。つまり、例え「コントロールした結果、自分の状況が今よりも悪くなってしまった」としても、その結果に自分が責任を持つということです。
もちろん「えー。コントロールの結果に自分で責任持つとか嫌だわー」って思う人もいるでしょう。でもそのあなたの今の「不幸のどん底」がずっと続くくらいなら「コントロールの結果に自分で責任を持つ」方がずっとマシじゃない?
そして「自分の人生を自分でコントロールしようと努力すること」「コントロールした結果に自分で責任を持つこと」を「自分の人生に責任を持つ」すなわち「主体的に生きる」といいます。
「主体的に生きる」とは「自分の人生を他人のせいにしない」ということだ。つまり、いまあなたが不幸なのは「家族のせい」でも「親戚のせい」でも「友人のせい」でも「知人のせい」でも「犯罪者のせい」でも「学校のせい」でも「会社のせい」でも「環境のせい」でも「時代のせい」でも「社会のせい」でもなく、「あなた自身が不幸から抜け出すための行動・楽しい人生を送れるようになるための行動を何もしていないせい」と考えるようにするということだ。
ただ、この考え方に反感を持つ人もいるだろう。「いや、私が不幸なのは、実際に私のせいではないもの!」と。
そして実際にあなたが不幸なのはあなたのせいではなく「家族のせい」「親戚のせい」「友人のせい」「知人のせい」「犯罪者のせい」「学校のせい」「会社のせい」「環境のせい」「時代のせい」「社会のせい」なのかもしれない。
ではなぜ「家族のせい」「親戚のせい」「友人のせい」「知人のせい」「犯罪者のせい」「学校のせい」「会社のせい」「環境のせい」「時代のせい」「社会のせい」にしてはいけないかというと、それらのせいにしたとしても、結局あなたの状況は何一つ改善されないからだ。
例えばあなたの不幸が親のせいだったとしよう。そして、実際にあなたの親が、あなたを不幸にした事実を認めて謝罪したとしよう。結果、なにか改善された?何も改善されてないでしょ?だって状況は何も変わってないもの。
何も状況が変わらないことに対して自分のエネルギーを使っても無意味じゃん?溜飲がさがったり、ストレス解消にはなるかもしれないけど。
でも、私達は溜飲が下がるだけのような無意味なことをしているヒマなんて無いのだ。ストレス解消だけのような無意味なことをしている余裕なんて無いのだ。だってマジで死にたいくらいに不幸なんだもの。この不幸な状況を抜け出すためならなんだってしたいもの。
世界的に有名な戦士ターミネーターさんはこんな事を言っている。「怒りは絶望に勝る」。
あなたは今絶望的な状況で、不幸のどん底にいるかも知れない。怒れ。
「マジで死にたいほど辛いんだけど何なのマジでこれお前ケンカ売ってるの?殺すぞ」くらいの強い意志を持て。怒りの意志を持て。明確な殺意を持て。
「こいつ絶対に殺す」という明確な殺意を持って「自分の不幸な運命」と戦うのだ。「自分の不幸な運命」を倒すのだ。
「主体的に生きる」とは、自分が楽しい人生を送るための、あらゆる謀略、あらゆる策略、すべての手段を使うということだ。自分の人生を他人のせいにするな。そんなのは無意味だ。他人に期待するな。自分でどうにかしろ。自分で仕留めろ。自分で「不幸な運命」を殺せ。お前らには殺意が足りない。