ガルニモ

力が……欲しいか……?

ネコ

正義と道徳はハッピーエンドを保証しない

私は小さい頃、極めて道徳的でした。超道徳的でした。道徳の権化でした。

例えば小さい頃「あなたと、他の5人が集められて、この中の一人が死んだら他の五人は助かるっていう状況になったらどうする?」という、小学生で良くあった質問には、迷うことなく「自殺する」と答えていました。なぜなら私は道徳の権化だからです。

しかし、大人になるに連れて考えが変わりました。例えば私以外の5人がとんでもないクズ人間だったらどうだろう?悪の限りを尽くしたクズ野郎だとしたら?例えば女性や子供だったとしても、実は私達6人をその様な状況に追い込んだ悪魔が化けた姿かもしれない。というわけで、最近はこの質問には「正々堂々と殺しあう」という極めてバランスの取れた回答に修正しました。

私が小さい頃道徳的だった理由の一つに「道徳的であれば、どこかで神様が見てくれていて、きっといいことがある」という極めて日本人的な考え方を持っていたからです。

しかし、不思議なことに空から女の子が降ってこないのです。私は道徳的でさえあれば空から女の子が降ってくるものと信じて疑っていませんでした。なのに、一向に降ってこない。神様の嘘つき。

大人になって私は悟りました。女の子は空から降ってくるものではないのだ。彼女がいる男は、空から降ってくるのを待つのではなく、自ら天空の城に乗り込んで手に入れているのだ。私も天空の城に乗り込まなければ彼女は作れないのだ。

例えばこの文章を読んでいる女性の方で、白馬に乗った王子様があなたを迎えに来るのを待っていることでしょう。いいですか?よく聞いてください。王子様は来ません。王子様というのは、待つのではなく、自ら城に乗り込み、拉致するものです。あなたに王子様の迎えが来ないのは、そもそも王子が次々と拉致されているからです。恋愛マスターの私がいうのだから間違いない。恋愛したことないけど。

私達は子供の頃アニメや漫画を通じて、正義を持った者や道徳的な者が、必ず最後に悪に勝ち、ハッピーエンドを迎えるものだと学んできました。しかし、歴史さんは私達にこう言います。「何寝ぼけたこと言ってんだよクズ野郎」と。

例えば西洋諸国はちょっと前まで植民地という奴隷国家を世界中に作り、「白人こそ!最強の人種だ!ヒーハー!!」とやっていました。何という悪。そして現代。悪は滅んでいますか?いいえ滅んでいません。それどころか、未だに西洋諸国は世界的に見て強国な方です。そうです悪は滅びない!

例えば日本の歴史でもアイヌ民族と大和民族が戦ったシャクシャインの戦いでは、どう考えても正義はアイヌ民族にあるように見えるし、最終的に大和民族が「和睦をしよう」とアイヌ民族に持ちかけて、酒に酔わせたあとに殺すという卑怯な手段を使って大和民族が勝ってる。大和民族は悪いやつだな。そして現代。悪は滅んでいますか?いいえ滅んでいません。それどころか、未だに大和民族は日本の中では主流派民族であり、かつ日本は世界的に見て強国な方です。そうです悪は滅びない!

正義も道徳も、必ずしもハッピーエンドには繋がらない。であるならば、ハッピーエンドにもっとも影響のある原因とは何でしょうか?そう、それは「強さ」。正義も悪も道徳も、すべてを飲み込むほどの圧倒的な「強さ」――。

ところで「強い」とは具体的にどのようなことを指すのでしょうか?例えば男性の皆さんなら同意してくれると思うのですが、男が子供の頃は、単純に喧嘩が強い人がリーダーでした。「腕力が強い」=「強さ」でした。少女の場合はコミュニケーション能力なの?私は男だから知らないけど。

しかし、大人の世界での「強さ」とは何でしょう?例えば「腕力が強い」は大人の世界では「だから何なの?」程度のレベルです。なぜなら、人を殴ると、大人の世界では牢屋に入れられるからです。例えば私達はぼんやりと「大人になると、頭がいいことがすなわち強さなのではないか」と思っています。ですが「東大生のみんなが人として強いか?」と言われると、そんなことはない気がします。高学歴ニートとか一時期話題になりましたし。「コミュニケーション能力があることが強さか?」と聞かれるとそんなこともない気がします。コミニュケーション能力の権化であるカリスマ女子高生が、じゃあ社会的な強者か?と言われると、悪い大人に簡単に騙されそうな気もします。

つまり、大人になると「強さ」とは、「腕力だけ」とか「頭がいいだけ」ではなく、色々なものをすべてバランスよく持った者が強いのだと思います。

具体的には、頭の良さ、体力、コミュニケーション能力、持久力、自制心、良い友達を持っていること、リーダーシップ、勇気、根性、リスクのとり方、勝負心、野心、独立心、親切心、愛嬌、文化的教養、これら全てを持つ人間こそ真の強者、真の支配者♪

最後に音符をつけたのはなんとなくです。っていうか人間は本能的に「強い者に憧れる心」があるのだと思う。例えば西洋。私達は西洋に教養的で文化的なイメージを持っているけど、世界中に奴隷国家を作ろうとした国が教養的で文化的とは何て素晴らしいギャグでしょう。

例えばユニクロを日本を代表する企業の一つに育て上げた柳井さん。彼は資本主義社会の強者の一人だけども、私達はユニクロが従業員をブラック企業的に酷使しているという知識を知っている。ニュースにもなったし。でも良いの。柳井さんかっこいいから。強者だから。だからユニクロがブラックだろうが何だろうがどうでもいいの。従業員とか私に関係ないから勝手に酷使されていればいいの。

例えばソフトバンクの孫さん。彼も資本主義社会の強者の一人だけども、私達はスマホやヤフーのサービス契約が、なんだかやたらと解約しにくいことを知っている。たまにネットで話題になる。でも良いの。孫さんかっこいいから。強者だから。だから、解約しにくいのをなんとか調べあげて解約するという努力ができない社会的弱者から、薄く広く少しずつ搾取する、という手段をとっていいの。孫さんが悪いのではなく、社会的弱者が悪いのだから。

私達は、その人が「強く」さえあれば、例えその人が悪であろうが、非道徳的であろうが、全て許すの。だってその人強いから。強さこそ正義だから。強さこそ道徳だから。

今、アメリカでトランプ大統領が何かと話題だけど、なぜあの人が正義でもないし、道徳的でもないのに、アメリカ国民から支持を得ているかというと、あの人は「強い」からだ。強いと、「強いから」という理由で全てが許されるし、アメリカ大統領にだってなれるのだ。

歴史的に見ても、大事なのは「正義」でもないし「道徳心」でもないのだ。ただただ「強い」ことのみが正しいのだ。弱者には正義も道徳も語る権利がないのだ。強者のみが「正義」と「道徳」を語って良いのだ。この世界は力こそ全てだ。我は闇の王。この世界を影から支配する者――。

この文章を読んでいる「正義」や「道徳」の心を持った「力が全てなんかじゃない!!」派の良い子の皆は、いつか私を倒しにくるが良い。しかし覚えておけ。私を倒すためには、結局貴様も力を手に入れて、それを使うしかないのだ。