ガルニモ

タイトル変えてみた。

ネコ

死にたい

私が人生で最も辛かったのは学生時代で、大人になるに連れてどんどん生きるのが楽になった。でも、なんとなく一般的なのは「子供の頃は楽しかったけど、大人になると人生が辛い」の方だと思ってたので、私だけ特殊なのかと思ってたけど、twitterで「学生時代はつまらなかった。大人になってからのほうが人生が楽しい」って呟いている人が他にもいたので、学生時代のほうがつらくて、大人になってからのほうが楽、っていう人は実は結構いるんじゃないかと思っている。

私が学生の頃は、なんとなく「学生の期間が人生の練習で、大人になってからが人生の本番」だと思っていたので、てっきり「学生の期間よりも、大人になってからのほうが人生の難易度が上がる」と思っていて「学生の今、こんなにつらいのに、大人になったら更に難易度が上がるとか。生きていく自信がない」と思っていたけれど、実際大人になると学生時代に比べれば人生が楽なので、今学生で人生が辛すぎて大人になることに絶望している子は、そこまでビビらなくても良い。今、学生で、人生がつらい子は、実は人生の中で今が最も辛い時で、大人になってからは楽に生きられるかもしれない。

学生の頃、人生が辛かった理由の一つとして「そもそも人生への抵抗のしようがない」というのがある。

今、学校が辛い子って、そもそも基本的に逃げるための選択肢がないでしょ?そんなに簡単に「転校」なんて出来ないし「学校やめる」とか「ひきこもる」とかいう選択肢はリスク高すぎるし。そもそも、基本的に自分の人生の選択権は「自分」ではなくて「親」が持ってるし。だから基本的に「つらい環境に通い続ける」しか選択肢がなくて、当時私はストレスで逆流性食道炎になったし、寝て明日が来るのが怖かった。

大人になって人生が楽になるのは「人生に抵抗していい自由」が手に入るからだ。大人になると自分の人生の選択権は「親」ではなく「自分自身」が持ってるし。例えば学校って追い詰められても「うっせー!バーカ!バーカ!」って辞められるものではないけれど、会社は追い詰められたら「うっせー!バーカ!バーカ!」って辞められるものだ。あ、私は円満退職したけど。

これは私の勝手な思い込みだけど、そもそも「生きるのが辛い」と感じている人は、基本的に皆性格が良いと思う。少なくとも「できるだけ良い性格であろう」と努力している人だと思う。だって、そういう真面目な性格でないと「人生がつらい」とは余り考えないと思うから。

ただ、そういう人たちの考え方の誤りは「善人でさえあれば、いつか私は報われるだろう」と無意識に思っていることだ。「善人でさえあれば、いつか幸運がやってくる」。「善人でさえあれば、いつか良いことがある」。私も昔はそういう考え方だった。私達が無意識にそう思ってしまう理由は、私達の周りのドラマ、映画、小説、マンガ、アニメ、昔話などの全てがそういうストーリーを私達に教えているからだ。そういう道徳観を私達に刷り込んでいるからだ。本当に世界がそういう単純なシステムだったら素晴らしいんだけど、実際はそうではないのだ。だって私達が住んでいる世界は「フィクションの世界」ではなくて「現実の世界」だからだ。

だから、今、人生がつらい人はきっと「なぜ私の人生はこんなにも辛いのだろう。私はこんなに善人なのに」と考えていると思う。実のところ、あなたが善人か悪人かと、あなたが幸せな人生を送れるかどうかにはなんの関係もないのだ。

だって、例えばこの世界が「善人であればあるほど、幸せな人生を送ることができる」という単純な世界だったら、この世界は善人で溢れかえると思う。でも、実際には善人もいれば悪人もいる。その理由は「善人でも不幸になることがある」し「悪人でも幸せになることがある」からだ。戦争で生き残った人たちが「良いやつは皆死んだ」という言葉を言うことがあるけれど、これは事実だと思う。「自分よりも他人のために命を使った善人」は「他人よりも自分の命を優先した悪人」よりも先に死んだのだ。善人が幸せになれるとは限らない。

もちろん世の中には善人である結果として幸せな人生を歩めた人もいると思う。でも、私に言わせればその人は、単に環境に恵まれただけだ。世の中にはどんなに善人でも不幸な境遇が次々と襲ってくる人もいるのだ。

実際にこの文章を読んでいる人の中には「善人であろう」と頑張って努力してるけど「人生がつらい」という境遇にいる人がいるだろう。

あなたが善人であることは、あなたが幸福になれる言い訳にならないのだ。

では、辛い人生からどうすれば抜けられるのか。

あなたが今まで善人であった理由の一つは「善人でさえあれば、辛い時や困った時に、自動的に誰か、もしくは社会などが私を助けてくれるのではないか」という期待を無意識に持っているからだと思う。そして、今あなたが生きるのが辛いということは、実際にあなたには誰かの助けが必要だ。でも、あなたが頑張って善人であろうと努力している今、その生きるのがつらい状況を誰も助けてくれてないし、社会も助けてくれてないという現実がある。

では、誰に助けを求めれば良いのか。それは「あなた自身」だ。「あなた自身」が「あなた自身」を助けるのだ。

あなたは今まで「善人である努力」はしたことがあるけれど「自分を助ける努力」はしたことがないはずだ。そして、今あなたに必要なのは「自分を助ける努力」だ。

「自分自身の人生」をできるだけ辛くないような方向に向かうように努力する。楽な方向に向かうように努力する。楽しい方向に向かうように努力する。つまり、簡単に言えば「人生に抵抗する」ということだ。

そう考えると、学生の方が人生が辛くて、大人になると人生が楽なのは当たり前だ。学生には「人生に抵抗する自由」が無く、大人には「人生に抵抗する自由」があるんだもの。

そして、自分の人生ができるだけつらくないようにする、あわよくば楽しくなるように努力するっていうのは「自分の人生をコントロールする」ということだ。自分の人生を自分でコントロールするということは、「コントロールした結果に関しては自分自身が責任を持つ」ということだ。つまり「自分の人生に責任を持つ」ということだ。

多分、善人の皆さんは、何かに対して責任を持つのが苦手だと思う。なぜなら、何かに責任を持って失敗すると、まわりに迷惑をかけてしまうから。そして「まわりに迷惑をかけてしまうこと」は善ではないから。

だから「自分の人生に責任を持つ」という言葉に、拒否感があると思う。でも「自分の人生に抵抗する」「自分の人生を良い方向に向けてコントロールしようとする」「コントロールした結果に責任を持つ」ということは「自分の人生に責任を持つ」ということなのだ。そして「自分の人生に責任を持つ」からこそ「生きるのが辛い」という状況を脱することができるのだ。だって、今ホントにマジで生きるのが辛いでしょ?自殺してないのが奇跡なくらいでしょ?自殺してないことを褒めてほしいくらいでしょ?そんなに「生きるのがつらい」のをそのまま続けるくらいなら「自分の人生に責任を持つ」方が滅茶苦茶マシだと思わない?というか、実際私が「こんなに生きるのが辛いのが続くくらいなら、もう自分の人生の責任を自分で持って、自分の人生は自分でコントロールしたるわ!」って思ったもの。

そして「自分の人生を自分でコントロールする」「自分の人生に自分で責任を持つ」ことを「主体的に生きる」という。そして、世の中の『人生をこう生きると良いよ』っていうたくさんの有名な本(例えば「7つの習慣」など)は「まず主体的に生きろ」って書かれている。「主体的に生きること」は「『良い人生を送る』ための基本」なのだ。あなたは「主体的に生きる」を始めることで、ようやくこの世界の「村人A」をやめて「プレイヤー」になったのだ。

そして「主体的に生きる」を始めると分かることは、意外と主体的に生きている人は少数派なのだ。つまり「自分の人生を自分でコントロールする。そして、その結果の責任は自分が取る」と覚悟している人は少ないのだ。だからきっと、私達みたいに「生きるのがつらい。こんなに辛いくらいなら、もう主体的に生きる覚悟するわ」くらいに追い詰められる人は、やっぱり少数派なんだと思う。つまり私達は「もうマジ死にたい。人生つらい」くらいに追い詰められるというイベントを攻略することで、「主体的に生きる」という普通の人は持ってないスキルを手に入れたのだ。

だから多分「子供の頃は楽しかったけど、大人になると人生が辛い」っていう人は「人生に抵抗」をしていないのだと思う。つまり「主体的に生きる」が出来ていないのだ。なぜなら、不幸にも彼らは「生きるのが辛い」まで追いつめられたことがないから。

さて、これを読んでいる人の中に「『自分自身』を『自分自身』が助けるとは具体的にどうすればいいのだろう?」と思う人がいるだろう。私の場合は「『自分自身』を『自分自身』が助けるための努力」として、頑張ってワガママを言えるように努力しました。なぜなら、ワガママを言わないと、自分が何を嫌がっているのかが誰にもわからないし、自分が何をしたいのかが誰にも分からないからです。そして、私自身の生き方もできるだけ好きに生きられるようにワガママに生きられるように努力しています。ワガママに関しては、過去にワガママを言う努力ワガママという記事を書いたので、こちらも参考にしてください。

この文章を読んでいる人の中には「人生に抵抗したとしても、結局不幸のまま死んでしまったらどうしよう」と考える人もいるかもしれません。実を言うと、私自身も頑張って人生に抵抗してはいるものの、結局不幸なまま死ぬかもしれません。ただ、だからといって人生をあきらめて人生がつらいまま何も抵抗せずに死ぬのも違うと思う。だって、人生って全てを諦めるには長すぎるもの。私達が老人になる頃には平均寿命が100歳になると言われている。例えば、仮に今あなたが50歳で人生が辛くて、このまま人生に抵抗することをあきらめて人生がつらいまま死のうと思っても、あと50年ある。あと50年って!50年ずっと辛いって!50年ずっと人生に抵抗しないって!その方が辛いやろ!もちろん後50年ずっと人生に抵抗しても、結局不幸のまま死ぬかもしれないけれど、可能性は低くても抵抗する価値はあるやろ。だって50年やで?あと50年間人生に抵抗し続けたほうが、不幸のまま死ぬとしても、少なくとも人生に後悔はないと思う。「やるべきことはやった!いさぎよく死ぬわ!」くらいに思えると思う。なので、人生に抵抗するのを諦めるべきではないと思う。

どんなにつらい状況でも、人生に抵抗し続けるんだ。

生きるのが辛いあなたを救うヒーローは、あなた自身だ。